桜とともに

俺、駒月翔太が東京に来て三ヶ月。ようやく社会人生活、そしてスーツにも慣れ始め、東京という都市の人になり始めていた。
しかし毎日のように終電で帰っているとさすがに疲れもたまって行く。少し重い足取りでホームへの階段を上がると駅に着く前に買っていたエナジードリンクをバッグから取り出した。
「疲れたな……」
 缶のプルタブを引くとカシュッという音と同時に甘ったるい匂いが缶からしてくる。
 俺は右手に持っていたエナジードリンクを一気に飲み干した。一つ深呼吸をすると微かにだが眠気が飛んだ気がする。
「これで帰れるかな」
 右を見ると電車のヘッドライトがゆっくりと近づいて来ていた。

 ガラガラの車両に乗り込むと、目の前の七人がけシートの一番左端に座り込んだ。今日は珍しくこの車両には他の客が乗っていない。隣の車両を見ると数人のサラリーマンが座っているのが見えた。 
 この車両だけ誰もいない、そう思うと寂しさが少しずつこみ上げて来る。
 ふと外を見ると堀沿いに右へとビル街が流れていくのが見える。ついさっきまでは自分もあの中の一人だった。こうして帰れているだけマシなんだろうが……
「お、駒ちゃんじゃん。何してんの?」
 その時、突然右から声をかけられた。
 右を向くとそこにいたのは高校時代の同級生の秋山だった。
「あ、秋山! お前地元にいるんじゃないのか?」
 慌てて立ちあがろうとする俺を秋山は無視して右手を顔のあたりに上げると敬礼をした。
「いやー駒ちゃん、こんな時間までお勤め、ごくろーさまです!」
「いや、ごくろーさまです! じゃないだろ……」
 いつもこの軽くておちゃらけているのが秋山という男だ。身長も俺より十五センチは高い。高校時代は二人で県内の野球部では小兵の駒月、大将の秋山の最強の二遊間と呼ばれた事もある。しかし、なぜここに秋山がいるのかが分からなかった。
「秋山さ、なんで東京にいるの?」
 俺は秋山に単純に訪ねた。まわりくどい言い方はお互いに不要な間柄だ。
「まぁ、いろいろあってさ」
 そう言うと秋山は俺の左に腰をおろした。
 いろいろ、そう、みんないろいろあるんだ。
「そういえば駒ちゃんは最近どうなん?」
 横をちらりと見ると秋山も外を見ながら話しかけて来ていた。
「最近って言ってもなぁ……」
 俺は最近の事、と言われても仕事、帰る、寝るのサイクルしかしていない。
 それを秋山に言うとあいつは大声で笑い始めた。
「駒ちゃん、それはいくらなんでも辛すぎじゃねぇ?」
 その笑い声を聞いて俺はまた視線を秋山に向けた。
「笑うなよ秋山。地味に悩んでんだから」
「駒ちゃんは本当、すぐ一人で悩むからさぁ」
「それは否定しない」
 そう言うと俺はまた外を見始めた。
 ちょうど桜並木が目の前を流れて行く。
「そうだ、秋山はここの桜知らないだろ?」
 しかし、左にいるはずの秋山からの返事がない。
 ふと左を見るとそこに秋山の姿はなかった。
「あれ?」
 急いで周囲を見渡すがどこにも姿はなかった。
 幻か何かだったのだろうか、疲れているのか?そう思った。
 秋山と連絡を取るためにとりあえず左ポケットから携帯を取り出した
 メールが一件届いている。その送り主は秋山だった。

「駒ちゃん、明日もこの列車でな!あと、寝過ごすなよ?」
 
 俺は軽くほほ笑むと携帯を閉じた。
 そして外をまた見る。外にはすでに住宅街が広がっていた。
 住宅街が…住宅街!?
「……ここ、どこだ!?」
 秋山、降りるならメールじゃなくて起こしていってくれよ!
 そんな心の叫びも空しく終電は終点に向かって走って行った。