炎鍋

「キーラン、夜ご飯出来たよ」
 そう言いながら銀髪の少女、イリファが取り皿用の皿が準備されたテーブルの上に置いたのは、赤いスープで満たされた鍋だった。そして何とも辛そうな刺激的な匂いがこのレンガ造りの家の中を支配しつつある。少なくともこのテーブルと、かまどのあたりはすでに赤い匂いに侵略されていた。
「イリファ、これって何の鍋?」
 俺はスープの色と強い匂いに困惑しながらイリファに聞いた。少なくとも中に入っているのはそこらの鍋と変わらない野菜と、ブロックの形をした肉。ただし、とてつもなく赤い液体に浸かっている状態だ。
 俺の質問にイリファは不思議そうな顔をしながら答えた。
「あれ? キーランは食べた事無かったっけ、火鍋」
 火鍋、確かに聞いた事も食べた事もある。北方出身のイリファからすれば、故郷の味というやつだ。二ヶ月前に初めて会った場所も北方諸国との国境近くだった。たぶん親が家で作っていたのを真似したんだろう。北方では好きな人と鍋をつつく事は特別な意味もある、と聞いた事もあるにはある。
ただ言える事は、俺の記憶の中の北方の火鍋とは絶対に違う事だった。
とりあえず俺はそれをイリファに伝え始めた。
「確かに火鍋を食べた事はあるけど」
「じゃ、大丈夫だね」
 食べた事はあるけどこれじゃない、と言うはずが途中で打ち消された。それどころか辛いのは大丈夫という確認になってしまった。
違う、辛いのはダメとかそういう事じゃない。そう思いながら、俺は反対側にふわりと座ったイリファに、もう一度この鍋料理の名前を聞いた。
「イリファ、これって火鍋でいいんだっけ?」
「うん、キーランの言う通りだよ?」
「イリファ、これは火鍋じゃないと思うんだけど……」
 え? という声と同時にイリファが首をひねる。
いや、間違ってるんだよ、イリファさん。俺はそう思いながら火鍋の説明を始めた。
「火鍋って確かに北方の料理だけど、本当は白いはずなんだよ」
「白い?」
 白かったっけー、とイリファが独り言を言う。俺は、この子の北方生活は本当に北方での生活だったのか不安になりながら、さらに火鍋の説明を続けた。
「そう。ヤギか何かの乳を使って野菜と肉を煮るんだよ。正確に言えば肉は薄切り肉だし」
 イリファの眉間にしわがだんだん寄っていく。俺は、これでこの赤い鍋料理が火鍋とは別物である事に気付いてくれればいいと思った。
「野菜とか肉をつけるタレは確かに赤いし辛いけど匂いがするほどじゃないし、あえて名前を付けるなら炎鍋、って感じかなー、とか……」
「もういい!」
 イリファはそう言うとテーブルに両手を叩きつけた。
 バン、という音と同時にイリファが前のめりになりながら立ちあがる。その顔には明らかに怒りが浮かんでいた。というか無いはずの角まで生えていそうだ。
「イリファ?」
 俺はストレートにまずいな、と思った。目の前で赤い鍋料理が猛スピードで取り皿に取り分けられていく。次のイリファの一言はおそらくこうだろう。
(キーラン! 美味しいから食べれば分かる!)
「キーラン! 美味しいから食べれば分かる!」
 イリファが取り皿をテーブルに叩きつけるように置きながら言い放った。やっぱりこうなった。こうなったらイリファは一切話しを聞かなくなる。
「早く食べてよ! 鍋が冷める!」
 そして、その通りにしないと大変な事になるのは俺だ。
「分かった分かった。いやー、美味しそうだなあー」
 目の前にあるのはどう考えても美味しそうでは無く、辛そうな鍋料理。しかし、食べなければいけない。この地獄の炎のような色のスープと、それに浸かった具材達を。
 俺はチラリとイリファを見た。凄い形相で睨みつけてきている。俺に逃げ道はもう無かった。
「いただきます」
 スプーンで一口目を取る。
 口に入った瞬間、舌の上で発生したのは旨味ではなく、痛み。その猛烈な痛みに俺の意識はそのまま消えて行った。最後の瞬間、俺の目に見えたのはなぜか美味しそうに赤いスープをすするイリファの姿だった。