憧れと愛しさ

 桜の花びらが舞い散る四月。六階建ての学生寮から身長百七十センチくらいの少年が出てきた。
 黒い学生服に身を包み、黒い髪が天然パーマになっている少年、日暮流矢はスクールバックを肩に下げ、耳には携帯音楽プレイヤーのイヤホンをさしていた。
学生服の襟元には、ギリシャ数字の二が掘られた学年章が光っていた。
 日暮が左腕につけた黒い腕時計に目を落とすと、アナログ盤のそれは午前八時を指していた。
「ゆっくり行くか」
 誰に話すわけでもなく日暮は一人呟き、顔を上げ始業式の学校への道を歩き始めた。
 日暮の向かう学校は緩やかな上り坂の上にある。坂に並ぶ桜の木は新入生や進級生を迎えるように花びらを散らしていた。
 ひらひら落ちた桜の花びらを踏みしめながら、日暮は学校へ続く坂を歩いていた。
 坂の中頃で日暮は肩を叩かれ歩みを止めた。イヤホンを外し、肩を叩かれた方向へ顔を向けると、ぷにっと彼の頬に指が当たった。
「おはよう、日暮くん。ご機嫌いかがかな?」
「……おはようございます、遥先輩。突然なんのようですか?」
 日暮が声の方へ向き直り、少し視点を下げると女生徒の顔が近くにあり、彼は少し後退した。
 黒いセーラー服に耳を包み、その黒さと真逆なほど白い肌。金色の髪は腰まで伸びた艶やかなストレートで、南国の海のような紺碧の瞳がこちらをジッと見ていた。
 遥・クラウディア。ハーフの彼女は日暮が通う学校の三年生で、昨年度に決まった新生徒会長だった。
「特に用事はないよ。一緒に行こう」
「……はい」
 日暮と遥は学校へ続く上り坂を歩き始めた。学校への道すがら二人は春休みの出来事や、新年度からの生徒会メンバーについて話していた。
「時に日暮くん、春休みはどうだったかな?」
「少し暇でしたね」
「仲のいい友人と出歩いたりしはしなかったのかい?」
「僕にそんな友達はいませんよ」
「寂しいことを言わないでくれ……そうだ、新生徒会で一年生の歓迎会をしよう」
「予算が下りるといいですけど、文化祭のことを考えると少し難しいですね」
「そうか。でも、生徒会の会計である君が言うなら、納得できる」
「まだ決まっていませんよ。他に候補者がいるかを調べてからです」
「いいや、生徒会長の特権でね。メンバーを一人決めさせてもらった」
「……それ初耳ですけど」
「言っていなかったからね」
「……マジですか……はぁ」
 日暮はため息をつきながら頭を抱えた。その近くを同じ学校の生徒達が、おはようございます、おはっすー、朝から仲のいいことで、などと口々に挨拶をして通り過ぎて行く。
 日暮は気だるそうに、遥は笑顔を見せながらそれぞれ挨拶を返した。
「おはよーございまーす」
「おはようみんな、春休みを楽しめたようで何よりだよ」
 上り坂も終わりが見えてきたころ、遥がふと思い出したように日暮に疑問ぶつけた。
「ところで日暮くん、先ほどの集団が仲のいいことで、と言っていたが、あれはなにかな?」
「茶化しですね。僕たちは付き合っていないんですけどね」
「そうだね……もうすぐ昇降口か、すまないが先に行くよ、もう少し準備があるからね」
「そうですか、頑張ってくださいね」
 そう言うと遥は小さく手を振り、昇降口を目指して走っていった。日暮も小さく手を振り彼女の背中を見送った。
 残された日暮は振った手を強く握り締め静かに呟いた。
「そうだね、じゃないですよ……」