明るい挨拶の条件

「おはようございます」
 通学路を歩いている千歳は、すれ違う人々に挨拶していた。中学校に通いだしてから早二週間が経ち。今では気軽に話せる関係になっていた。
あれ? あの子ってクラスメイトの櫂君だよね? いつも学校に来るの遅いのに、珍しい。
 千歳の正面に見える通学路の曲がり角。そこから姿を現したのは、クラスメイトの櫂だった。彼は不満げで暗い表情をしている。昨日、何かがあったのだろうか?
櫂は、あまり人と関わろうとしないタイプなので、クラスメイトと会話している場面を見たことが無かった。
櫂と接点が少ない事もあり、話しかけるのに少々抵抗がある。しかし、いつまでも他人行儀のままではいけない。そう思った千歳は、勇気を持って挨拶をしてみる事にしたのだ。
千歳は、櫂のいる場所へと駆け寄っていく。
「おはよう」
千歳は背後から声を掛けた。笑顔を見せながら、気さくな態度で挨拶をする。
「……」
 櫂は横目で彼女を見やるだけで、それ以外の反応を見せなかった。
 あれ? 挨拶の仕方が気楽過ぎたのかなぁ? もうちょっと丁寧に喋った方がいいのかも。
「おはようございます、櫂君」
「ッ、聞えているから……うっとおしい奴だな、どっかいけよ」
 櫂は舌打ちをすると、千歳を雑に扱う。
 素っ気無い態度を見せる彼は、千歳を一瞥するとその場から走り去っていった。
 な、何なのよ、アイツ……。こっちは勇気を持って話しかけたのに。
 今まで邪険にされた事の無かった千歳は、彼に嫌悪感を抱いてしまう。朝っぱらから嫌な思いをしてしまい、彼女は不満そうな表情を浮かべながら、学校へ向かう事になってしまった。

「今日の体育の授業は、ダンスやるぞ。ダンスパートナーはクジ引きで決めるから、一人ずつ前の方に来いよ」
 そういう指示を促す体育の教師は、壇上前に佇んでいた。
学校指定のジャージに着替えた千歳は、クラスメイトと共に体育館へやって来ていたのだ。
ジャージ姿の体育教師は、箱の上に穴が空いている長方形のボックスを持っている。クジは一人ずつ行う事になっており、千歳に番が回ってくると、彼女はボックスの中に片腕を突っ込んだ。
「私は5番ね」
「全員引き終わったら、同じ番号同士でペアを組むように」
 教師に促され、千歳はペアになる予定の生徒を探す。すると、彼女に衝撃が走った。
 千歳と同じ番号札を所有していたのは、なんと櫂だったのだ。
 はぁ~、よりにもよって、何でアイツと一緒にやんないといけなくなるのよ……。
 物凄くナイーブになる。態度の悪い奴とは関わりたくなかったからだ。
こんなところで嫌がっていても何も始まらないと思った。クジで決まった事なので諦めるしかない。千歳は、自身の心にそう訴えかけることにした。
「櫂君、一緒にダンスやるよ」
 千歳は、個人的な考えを押し殺し、積極的に話しかけることにした。嫌そうな雰囲気でやっていてもつまらないと感じたからだ。
「……」
 また無言。櫂は睨むように千歳を見ている。そろそろ堪忍袋の尾が切れそうになった。が、ここで不満をぶちまけても何も解決しない。千歳は彼の腕を掴むと、体育教師の言うとおりにダンスを始めた。
「ねぇ、私って櫂君が嫌がる事した?」
「……いや」
「じゃあ何で、私に嫌がらせをするの?」
「……そんなことを聞いてどうなるって言うんだよ」
 櫂は、初めて長く言葉を発した。だが、また直ぐに無言になったのだ。
 何なのよコイツは。絶対にもう話してやんない!
 ダンスを踊りながら、千歳はそう心に誓った。

 絶対に関わらないと心に誓ったものの、千歳は学校終わりに櫂のことを尾行していた。
 彼の弱みを見つけて仕返しをしようと目論んでおり、千歳はそのための情報を集める事にしたのだ。
 千歳は電柱の影に隠れたり、どこかの家の壁に隠れながら、櫂の行動を監視していた。しかし、いつになっても櫂の弱みとなる部分が判明しない。
 櫂の奴、ちょっとくらいへまをしなさいよ! ――え?
 その時、櫂はボロッちい家に入っていったのだ。今にも壊れそうな外見をしている。
その家の壁には、櫂の苗字が刻まれた表札が取り付けられており、本当に彼の家なのだと思った。
 ……櫂の家って意外とぼろいのね。……やっぱり、性格が悪い人って家も最悪なのね。明日学校に行ったら、皆にばらしちゃおうっと。
「このクソがッ! 何で親の言うとおりに行動しねぇんだッ!」
 外にも聞こえるくらいの怒鳴り声が周辺に響き渡り、千歳はビックリしてしまう。
 な、何が起こったの?
 怒鳴り声が止むと、櫂が家から出てきたのだ。彼の瞼からは涙が出来ていていた。
「……!」
 櫂の家の前――、二人の視線が重なる。
「お、お前何でこんな場所に居るんだよ!」
 不都合なものを見られ、櫂は焦った喋り方をしていた。知られたくない事情だったのかもしれない。
「さっさと食料を買って来い。今から一時間以内だからな! 分かったか」
 家の方から櫂の父親らしき声が聞えてきた。普段から怒鳴られた経験が無いので、大きな声に恐怖心を覚えてしまう。
 櫂は千歳を見るなり、その場から立ち去って行った。
「待ってよ、櫂」
 千歳は逃げていく彼を追いかける。学校にいる時と雰囲気が違い、彼のことを心配してしまう。嫌な奴だと思っていたけど、色々悩みを抱えているのかもしれない。千歳は同情してしまう。
「お前、何で追いかけてくるんだよ。どっかいけよ」
「櫂君……もしかして家族から虐待されてるの?」
櫂は一旦立ち止まる。彼は少し押し黙った後、口をゆっくりと開いた。
「……ああ、そうだよ。俺の父親はクソで、母親は居なくなったよ……」
 立ち止まった千歳は、振り向く事のない彼の後ろ姿を見ていた。
「……そうなんだ」
(櫂君……。これじゃあ、私が悪者みたいになっているよね。櫂君の弱みを見つけようとしていたなんて……自分が恥ずかしいよ)
 千歳は、自分に出来ることを頭の中で必死に思考していた。
「……櫂君、じゃあ……私と友達になろうよ」
「は?」
 友達が出来れば、何かを変える切っ掛けになるかもしれない。
「家で辛いことがあっても、学校で友達を作れば嫌なことなんて忘れられるよ。だから、友達になろうよ」
「……」
 彼からの返答はなかった。
「俺、店屋に行って買い物をしないといけないから……」
「うん……じゃあね……」
 櫂は一度も千歳の方を振り向くことなく、その場から走り去っていったのだ。
 櫂君……ちょっと心配かなぁ……。
 彼の姿が見えなくなると、千歳は帰路に着くことにした。

「おはようございます」
学校に通う最中、千歳は道行く人に挨拶をしていた。いつもと変わらない日常の始まり。
櫂君、昨日大丈夫だったのかな……。
「おい、千歳……おはよう」
 通学路を歩いていると、突然背後から声を掛けられる。男の子の声だった。千歳は振り返る。そこには少しだけ視線をそらす櫂の姿があった。
 あまり人と会話をしないので、声を掛ける事が少しだけ恥ずかしかったのかもしれない。
「おはよう」
 千歳は、笑顔で彼に挨拶を返した。