静かなる逃走劇


 人気も街灯も少ない、住宅地の路地。部活ですっかり帰りが遅くなった私と妹のイズは、出来るだけ急ぎ足で家に帰ろうとしていた。
 だけど。
(誰かいるな……)
 数分程前から、背後に誰かいるのが足音でわかった。最初は気にならなかったけど、私たちが歩いている間は後ろの足音もついてくる。止まると足音も聞こえなくなるけど、歩くとまた聞こえてくる。何回か道を曲がってみても、変わりなくついてくる。間違いない。私たち、変質者か何かに後をつけられているようだ。
「カナ姉、さっきから思ってたんだけど、もしかして迷子?」
 右隣から、イズののんきな声が聞こえてきた。彼女は鈍感なので、背後にいるであろう変質者にも、私がそれを撒くためにあえて回り道をしていることにも気付いていない。
「あたしもうお腹空いたよ。お母さんもお父さんも今日はいないんだし、ご飯作ってくれる人いないんだから、早く帰らなきゃ夕飯食べられないじゃん」
 おいイズ。何故家に大人がいないことを声に出した! 後ろに変質者いるのに、うちは無防備ですって宣伝したようなものじゃないか!
 私は声にならない叫びを何とか飲み込んで、慌てて彼女の言葉を訂正しようと試みた。
「え、えぇー? そうだっけ? 今日はお母さんたち、早めに帰って来るって言ってなかったっけ?」
「何言ってるの。今日は残業確定だからって、さっきメール来たばっかじゃん」
 お前が何言ってるんだ、と大声で突っ込みたくなったけど、今の時刻と周囲が住宅地なのを思い出してギリギリ堪えた。
 もはや訂正は不可能。心なしか、後ろの足音も嬉しそうである。というかさっきより近付いてきている気さえする。振り向いて確認したいが、自分たちを狙っているであろう変質者を、直視できるような度胸は、あいにく持ち合わせていない。
 万事休す。もうここは賭けで、家に入った瞬間、変質者が来るより早く鍵をかけて通報しようか。そんなハイリスクな策を考え始めた時、道の向こうに人影を見つけた。イズも気付いたようで、声を上げる。
「あれ? カナ姉、あれって、雪兄じゃない?」
 人影の正体は、隣の家に住んでいる一雪お兄さんだった。通称『雪兄』。財布を片手に、真っ直ぐ歩いてきている。
 私は彼に助けを求めることを思いつき、イズの手を引いて雪兄に駆け寄った。
「雪兄! ただいまー!」
「ん? おぉ、カナコとイズちゃん。今帰り?」
「うん、部活長引いちゃってさー。ね、雪兄。一緒に帰ろ!」
 私は話しかけながら、視線だけをちらちらと後ろの方へ向けた。後ろに人がいますというアピール。
 雪兄はそれに気付いてくれたようで、私の背後をさりげなく確認したあと、任せろという意味であろうブイサインを出した。
「オッケー。じゃ、帰ろっか。今日のご飯は何が良い?」
「え? 待って待って。雪兄の家は……」
 唯一状況を理解していないイズの頭を軽く叩いて黙らせ、私たちは雪兄に連れられて家に帰っていった。
 雪兄と一緒に帰宅したあと、私はイズに、変質者が後ろにいたことを伝えた。すると彼女は案の定「え、嘘でしょ⁉」と大げさな程のリアクションで驚いた。
「だからカナ姉、意味無いところで道を曲がったり雪兄誘ったりしてたの? もし雪兄来なかったら、あたしらヤバかったってこと?」
「俺はコンビニ行こうとしてただけなんだけど、まさかこんなことになるとはねー。向こうも俺が君らの兄だと勘違いしてくれたようで、さっさと引き返していったよ。一応あとで通報しときな」
「ごめんね雪兄。あと、ありがとう。突然変なこと言ったのに、乗ってくれて」
「まぁ、悪い気はしなかったしね。また何かあったらどんどん頼ってちょーだい」
 柔らかな笑みを向ける雪兄を見て、私はようやくホッとして安堵の息を吐いた。