博士の偉大な創作実験

 消毒液の匂いが漂う部屋の中、狂ったような女の高笑いが響く。
 時刻は午前二時。部屋は切れかけの照明に照らされて、辛うじて明るさを保っている。はがれかけの白い壁紙とタイルで包まれた研究室の中で、少年は静かに振り向く。人間が二人は入りそうな大きさの、試験管のような形をした機械に、白衣の女が張り付いている。
 機械の中には無色透明などろっとした液体と、大量のコードに繋がれた人間の臓器が入っていた。
「博士、騒がしいんですけども」
 少年は、鬱陶しそうに呟いた。事実、とても鬱陶しかった。ただでさえ耳が良い少年にとって、常人の二倍は声が大きい女の声は毒である。しかし、博士と呼ばれた女にはお小言が聞こえないらしい。
 その女――博士は、日を知らぬように真っ白な肌を興奮で赤く染めながら、非力そうな両腕を勢いよく突き上げた。
「できた、できた、できたーっ!」
「分かりましたから、もう少し、お静かに」
「分かるかな、この、美しい色! こんなに綺麗な色で作れたのは初めて! 血色いいよなあ、美しいよなぁ、形も完璧! 最高傑作だよ君、ねえ見て、褒めて!」
「僕は人の臓物に別段興味がないんですけれど」
「まあいいから見てって! 絶対に気に入るから!」
 顔面を硝子に張り付けていた博士は、そのあどけない顔に満面の笑みを浮かべて手招きをする。少年が手に持っている厚い本は目に入っていないらしい。そもそも、本棚の整理を指示したのは博士のほうだった。助手としてこれくらいできないとね云々、任せたよ云々、という騒がしい声を脳裏に浮かべて、少年は顔を顰める。
 博士の言うことが二転三転するのは、珍しい話ではない。そして、言い出した博士は止まらない。要望を無視すると耳元で大声を出されることになるので、少年は渋々手招きに従った。
「ほら、見てごらん。これが君の臓物だ」
「はあ」
「美しい人には美しいナカミがないとね。ね、君、そう思うでしょ、ね」
「はあ」
「分かるなんて流石だなぁ! ほら、もっと見て、ほら! この辺とか!」
「はあ」
 先ほども言った通り、少年には臓物を観察するような趣味は無い。作り上げた臓物を指さして、硝子越しに「ここの色がいい」だの「ここが堪らない」だのと語る博士の話を聞き流す。少年の視線の先には、興奮気味に臓物語りをする博士の顔があった。臓物を見るより、博士を見る方が、少年にとっては余程面白いことであった。
 彼女の身長は一五二センチ。少年が生まれた日には長かった艶やかな黒髪は、「美しいですね」と褒めた翌日に邪魔だったからと肩上まで切り揃えられた。赤色の猫目は、彼女自身が褒めちぎっている臓物より余程綺麗な色をしているのに、その評価を覆すように、その下にくっきりと濃い隈がある。血色の悪さは現在興奮で誤魔化されているが、色がついて視線が向く分、以前にも増してやせた頬の肉が目立つ。
 一言で言えば、残念な博士。それが少年から博士に下す評価であった。
「でな、でな、まずこれを造るために苦労したのが――ん、何を見てる、ちゃんと臓物を見てくれよ」
「もう見ました。すごいですね」
「えへへへへん、そうだろそうだろ」
「流石です。本当にすごいです。天才博士と呼ばれるだけのことはあります。僕を創り出した博士ならやり遂げられると思ってました」
「もっともっと褒めていいんだよ!」
 少年の声は極めて平坦だった。明らかなお世辞にも、博士はその表情を明るくする。胸を張って偉そうにふんぞり返る博士は、いつにも増して騒がしい。研究が終わった直後の彼女は、いつもそうであった。少年を創り出したあの日以外は。
 少年は、静かに試験管に視線を移した。少年の瞳に映るのは、臓物ではなく、硝子に映る自分の姿であった。
 白い肌、色素の薄い金髪、釣り目な碧眼、不愛想な顔。身長は一六七。
 少年は、博士に造られた人工生命体である。極めて人に近い形をしているが、体内は空洞。つまり、未完成の人造人間だ。
「この臓器を作るなんて、僕を創るより余程楽な仕事だろうに」
「機能は当然として、美しさにも拘りたいだろう。美しい人には美しいモノが入っていないといけないんだ」
「そうですか。生活習慣から察するに、博士の臓器はこんなにいい色をしてないと思いますけど。あるべき色から遠のいていませんか?」
「君、今遠回しに私のこと美しいって言った?」
「臓器の汚さを罵ったつもりだったんですけどね」
 毛先を指に絡めて、博士は悪戯っぽく笑う。彼女は感情と表情が豊かなようで、あまり豊かではない。何故って、彼女の頭の中には愉悦と娯楽と研究のことしかないし、常時笑っている。そしてその笑顔は、大抵この顔だ。妙な乏しさを見せつけながら、博士はうっとりとした声で言葉を継いだ。
「これで君がまた一歩完全に近づいた」
「歩行して、思考して、自立して、貴方のだらしなさを怒ってサポートして、これ以上の完全があるなら是非教えてほしいんですけど」
「ナカミが詰まった状態」
「つまり、博士は僕に人間になってほしいんですね。それ以外は『完璧ではない』と」
「まあそういうこと。私の生涯一の研究にするつもりだ」
 ゼロから人間を創り出す。それが博士の研究であった。
 その研究は、政府によって硬く禁止されている領域の研究だ。科学的に人間を創り出す、という、自然の摂理から外れた行為は、人々の中で非難をされていた。聞いた話によれば、博士は「神にでもなるつもりか」と人々から罵倒、中傷され、やがて人里を追い出されたらしい。それでも彼女は諦められず、こんな山奥に自分の研究室を建てて、日夜その研究に励んでいる。
 補足をするのなら、彼女は決して神になりたいわけではない。ただ、人間を創り出さなければ叶えられない願いがあるのだ。
 そう思うと、途端に少年は気分が悪くなった。空洞が広がっているだけの体内が、ムカムカと苛立たしい感覚に吞まれていく。
 眼前に浮かぶ笑顔を引き剥がすような気分で、少年は小さく吐き捨てた。
「僕はどうやっても貴女に造られた人間です。完璧な人間にはなれませんよ」
 泣いてくれればいい、と思って、わざと棘のある声音で言った。しかし、博士は笑顔でいることを止めない。それどころか、一層笑顔を深いものにして、彼女は言った。
「いいや、私が君を完璧な人間にする」
 その言葉のどこにも、生半可な覚悟は見受けられない。彼女は本気でこの研究を成し遂げるつもりだし、それを生涯一の研究にするつもりなのだ。
 少年は静かに溜息を吐いた。抵抗のつもりだったけれども、彼女はそんなことをものともしない。ニコニコと愛想の良い笑顔を浮かべて、博士は臓器を包む硝子に頬擦りをして、「楽しみだなぁ」と独り言まで吐いてみせた。
 歩行、自立、思考、発声。ここまで人間らしい形をとり、常人よりも博士の研究を手伝えるのに、博士を満足させるには至らない。それが非常に腹立たしくて、少年は静かに目を伏せる。
『また会えて、嬉しい』
 少年が生まれた日、博士は泣きながらそう言った。生まれたときからこの姿だったことには意味があった。そう気づいたのは、つい最近のことである。
青白い頬を大粒の涙が伝い、女性らしい柔らかな手が少年の手を包む。今となっては夢のようなあの光景を、少年は一日たりとも忘れたことが無かった。
 博士は少年に名前をつけることは疎か、自分も名前すら名乗らない。恐らくは、少年が『完璧』になった日に、その二つの空欄を埋めるのだろう。
「博士、もう本棚の整理に戻っていいですか」
「いいともいいとも、戻って戻って。働き者でいい子だなぁ、君は」
「はあ、どうも。誰かさんがだらしなくて放っておくとすぐ部屋が荒れるので」
「頑張ってくれよな、助手くん」
 カラカラと笑った博士は、また新たなナカミを造る為の準備に取り掛かる。笑顔の裏に隠れた強迫概念を感じながら、少年は静かに、先ほどしまい込んだ本を、もう一度手に取った。
 本の丁度真ん中に、一枚の写真が栞のように挟まっている。少し色褪せた写真の中には、二人の男女が移りこんでいた。
 長い黒髪、赤目で白衣の女と、金髪碧眼の、白衣の男。
 どこからどう見ても、博士と少年である。しかし、この写真が他人のものだと感じる理由は、明確に二つ。
一つ。少年は生まれてこの方、博士と写真を撮ったことがないこと。
 もう一つは、写真の中の博士と少年は、酷く幸せそうに微笑みあって、腕を組んでいることだ。
 悪戯っぽい子供のような笑顔を見ることがあっても、博士はこんな微笑みを少年には向けない。彼女が笑顔の下に隠している本当の素顔を見る度、少年は静かに空洞の胸が締め付けられた。
「……博士、どうしてそんなに研究を頑張るんでしたっけ?」
 少年は、ふとそんなことを尋ねた。過去に何度も聞いたことがある質問だったが、博士はそれに厭わしそうな顔をしない。
 博士はニッと子供のように歯を見せて笑うと、溌剌とした声音で宣言した。
「愛しい人を亡くした人が悲しまなくていいように!」
 最高だろ、と同意を求められ、少年は静かに顔を顰める。
最高ですね、と返した皮肉に、博士は心底満足そうな笑顔を浮かべて頷くのだった。