名前シール

 人というものはどういった人となりであろうとも、どうも飽きっぽい。
例えば、日ごろ行っているルーティンに飽きたり、仕事に行くことに飽きてしまったり、生きることに飽きてしまったり、そして自殺しようにも自殺することに飽きてしまったり。
 そんな自堕落を極めた人間は、遂に自分の名前すら飽きてしまった。
 堅苦しい漢字ばかりの名前であるのは嫌だ、柔らかい平仮名や片仮名の名前がいい、堅苦しい手続き抜きに名前を変えたい。
そう言い張ったある女の声は、瞬く間に日本中へと響いていった。
 その名前に対する運動は、やがて日本中で「改名運動」と称され、そこかしこで暴動が起こった。これには政府も冷や汗をかき、日本中の研究所をはじめとして、何か解決策はないかと考えた。
 一年後、そんな人々の声に答えるかのように、ある物が開発された。
その名も「名前シール」というもので、自分が好きな名前をそのシールに書き、それを当の本人や物に貼り付けるだけで名前が一瞬で変わる、という代物だった。
 最初人々は疑っていたものの、最初に声を上げた女が試しに使ってみると、その女の名前が元ある名前ではなく名前シールに記入した名前として、簡単に人々に対して認知されたのだった。
 その女をはじめとして、効果があるとなったら人は飛びつく。瞬く間に売れていき、億以上の大ヒット商品となった。
 しかもその大ヒットの波は日本だけにとどまることは無く、世界にまで広がった。最初はアジア圏から、徐々に広がっていく。
 人は飽きっぽい者のほかに、調子に乗る者でもあり、実在する物の名前の他に、実在する物の見えはしない概念的存在の名前すら、名前シールによって改名した。
 最初は否定的であった科学者も、著名な人間がやったことが原因となり、元々の化学物質の名前をはじめとして、今現在研究している化学物質、そして新発見した化学物質、果てには惑星の名前すらも名前シールによって改名してしまった。
 たった一か月の間に、世界中の人々によって物や人の名前は変わっていき、現時点で元々の名前となるものは地球上に存在しなくなっていた。

 その名前シールの流行も過ぎ、五年後のある日のことだった。
 日本に住む、名前シールの火付け役となった女が、いい加減改名した後の名前に飽きてしまい、元々の自分の名前に戻そうとしていた。
 しかし、いくら考えようともその時分の元々の名前が思い出せなかった。
 その女は、自分の周りの友人に自分の元の名前を聞いた。しかし、誰もかれも自分の元の名前を忘れてしまい、どうしようかやきもきしていた。
 自身と一番つながりの深い家族全員に聞いても、同じ回答しか帰って来ず、女は五年前の自分を心底恨んだ。
 世界中で名前シールによって改名した後の間抜けな名前は、決して元に戻ることはなく、間抜けな名前のまま一生を過ごすことを余儀なくされ、人々は元々の名前の重要さを理解した。
「人の名は人を表す」、昔から人々はそう言われ続けてきたものの、いまいち実感が湧かなかった。しかし、名前シールによって改名してしばらく経った後に、人々は元々の名前に込められていた意味を理解する。
 しかし、その名前の概念を名前シールによって忘れてしまったために、人は間抜けに生きるしかなくなってしまったのだ。
 その時人々は深く後悔したものの、元々の自分の名前が二度と帰ってくることは無かった。
 人というものは飽きっぽいものでもあり、調子に乗る者でもあり、後悔する者でもあるのだ。