Teacher&Student
学生対談
写真映像科

Teacher

阿部 和美先生

フォトグラファー(卒業生)

署名:阿部 和美先生

Student

打川 祐衣さん

写真映像科2年(秋田県立金足農業高等学校卒)

署名:打川 祐衣さん

Student

渡辺 右京さん

写真映像科2年(宮城県仙台西高等学校卒)

署名:渡辺 右京さん

写真:写真映像科 学生対談

フリーランスになるまでの道のり

インタビュアーA:
本日はお集まりいただきありがとうございます。最初のテーマは「講師のキャリアの歩みと、学生が目指すビジョン」についてです。阿部先生は現在、フリーランスのフォトグラファーとして、また本校の講師として幅広く活躍されていますが、ここに至るまでの道のりはどのようなものだったのでしょうか。
阿部先生:
改めて振り返ると、詳しく話すのに2時間くらいかかりそうですね(笑)。実は私もこの学校の卒業生なんです。2006年度(2007年3月)に、当時の「日本ビジネススクール仙台(ニチビ)」のデジタル編集フォト専攻を卒業しました。当時はインターン制度が非常に盛んで、私は2年生の後期からずっと現場に出ていました。卒業制作も、他の学生が校内で取り組む中、私は一人でプロの現場の仕事をこなしながら作品を作るという、かなり実践的な学生生活を送っていました。
インタビュアーA:
卒業後、すぐにカメラマンとして独り立ちされたのですか?
阿部先生:
はい。インターン先のフリーペーパー編集部にそのまま就職し、アシスタント期間を経ずに即カメラマンとしてデビューさせてもらいました。それが叶ったのは、私が「社会人入学」だったことも大きいと思います。高校卒業後にアメリカへ1年留学し、その後1年フリーターをして学費を貯めてから入学したので。そういう点では卒業してすぐにカメラマンになるという夢は叶いました。
その後、横浜の制作会社へ移り、ホットペッパーのようなフリーペーパーの撮影を2年ほど担当しました。さらに新宿の写真スタジオに入り直してアシスタントとして修行を積みましたが、そこを辞めたのが2011年の2月末。その直後に東日本大震災が起きたんです。東京で震災後の混乱や世知辛い光景を目の当たりにし、「地元(仙台)に戻ろう」と決意しました。2011年5月には開業届を出し、フリーランスとしての活動をスタートさせました。
インタビュアーA:
そこから講師になられた経緯も気になります。
阿部先生:
最初は卒業アルバムの撮影手伝いやネットショップの商品撮影など、何でもやりました。転機は2016年。年度が切り替わる直前の3月末に、ニチデから「ピンチヒッターで講師をやってほしい」と突然電話があったんです。本当にギリギリのタイミングでした(笑)。
インタビュアーA:
そこからちょうど10年ですね。
阿部先生:
そうですね、次年度でいよいよ10年目になります。この10年は、学校の仕事をしつつ、途中で妊娠や出産も経験しました。現在は卒業アルバムの外注や、料理の撮影、法人の採用広告など、多岐にわたる撮影を行っています。
ただ、これまでのキャリアで一番きつかったのは2020年のコロナ禍でした。イラストやグラフィックの先生方はテレワークでも仕事ができますが、私たちは「現場に行って写真を撮ること」が第一です。当時は学校行事も飲食店もすべて止まり、仕事が完全にゼロになりました。3ヶ月ほど主婦のような生活を送っていたのですが、毎日皿を洗い、娘を公園に連れて行くだけの日々に、「このままでは発狂する」と思うほど暇で死にそうでした(笑)。そこから徐々に撮影が増えていき、ようやく今に至る……という感じです。

「5年後、どうなっていたい?」― プロとしての未来図

写真:写真映像科 学生対談
インタビュアーA:
さて、お二人は4月からいよいよプロの世界に飛び込みます。5年後の自分はどうなっていたいか、具体的なビジョンはありますか?
渡辺さん:
僕はまず1年目で仕事を完璧に覚えたいです。ニチデの講師の先生方が現場で見せる、あの堂々とした立ち振る舞いに憧れているので。自分に自信を持ち、被写体の前に立って「撮るよ!」と胸を張って言える、そんな確固たるアイデンティティを持ったカメラマンになりたいです。
打川さん:
私は卒業アルバムの会社に就職するので、まずは1年目に母校の撮影を担当させてもらうことが直近の目標です。また、もともとブライダル撮影に強い関心があったので、アルバム制作で「動く被写体」を捉える経験を積みながら、将来的には結婚式という人生の節目を切り取るカメラマンとしても活躍したいと思っています。
インタビュアーA:
二人とも素晴らしいですね。私は28歳でこの業界に入りましたが、それまでの接客業の経験が今の営業的な仕事にすごく活きています。一見無駄に見えるバイトの経験や他職種での苦労も、後から必ず「伏線回収」のように役立つ時が来ます。
阿部先生:
本当にそうですね。「何の役に立つのか」と思っていた経験が、突然繋がる瞬間がある。例えば、卒アルの撮影で一番撮るのが難しい、動き回る子供たちを相手にできれば、大人の撮影なんて余裕に感じます(笑)。子供の懐に一瞬で入り込む力は、コミュニケーション能力そのもの。サッカーが好き、アイドルが好き、といった自分の趣味すらも、被写体との距離を縮める武器になる。無駄な経験は何一つありません。

暗室で受けた衝撃――「ビビビッ」ときた原体験

インタビュアーA:
続いてのテーマは「この分野にハマったきっかけ」です。皆さんのカメラにハマったきっかけを語り合いましょう。
阿部先生:
私は中高時代、吹奏楽やオーケストラに没頭していて、写真とは無縁の生活でした。きっかけはアメリカ留学中に通った短大の美術の授業。楽譜が読めないから音楽はダメ、絵も描けないからアートもダメ……消去法で選んだのが写真だったんです。
インタビュアーA:
消去法だったんですか(笑)。意外ですね。
阿部先生:
そうなんです(笑)。たまたま友人から一眼レフを安く譲ってもらい、軽い気持ちで授業に出たら、いきなり「暗室で現像しろ」と言われて。何の予備知識もなく真っ暗な部屋で薬品の匂いに包まれ、印画紙からスッと像が浮かび上がってくる瞬間を見た時、「あ、私これ仕事にできる気がする」って直感しちゃったんです。
それで:
英語勉強してる場合じゃない!」って思って、すぐに日本に帰る決断をしました。帰国して、バイトしてお金を貯めて専門学校を探してたら、ちょうど双子の妹(イラストレーター)がニチデの卒業を控えていて。「うちの学校、写真の学科あるよ」って言われたんです。最初は東京に行かなきゃと思ってたけど、妹の言葉を聞いて「じゃあ入るわ」って即決しました。
インタビュアーA:
同じ顔が入れ替わりで入学してくる(笑)。
阿部先生:
そう、事務局の方も「ええーっ!」って驚いていましたね(笑)。そんな風に周りに少し迷惑をかけつつ、2年間必死に学びました。私は写真を始めたのが遅かったので、スタートラインはみんなの方がよっぽど早い。だからこそ、その差を取り戻すために必死で勉強しました。
インタビュアーA:
なるほど。シャッターを切っている時ではなく、現像している時に「これだ」となったのは珍しいパターンかもしれませんね。
阿部先生:
絵で記録するのは時間がかかるけど、目の前の「状況を残す」「記録する」という行為が好きだったので、写真のスピード感が一番しっくりきたのかも。あと、自分がOLとして制服を着て、9時5時でデスクワークをしている姿がどうしても想像できなかった。「これならいけるかも」という当時の勘違いが、今の自分を支えています。
インタビュアーA:
打川さんと渡辺さんは、どうしてこの道へ進もうと思ったのでしょうか。
打川さん:
私は高校時代、野球部のマネージャーをしていたんです。試合の時はいつも父母会の方々が写真を撮ってくださっていて。最初は「あ、撮ってるなー」くらいにしか思っていなかったんですけど、後から届くアルバムを見て衝撃を受けました。そこには主役の選手たちだけじゃなくて、裏方である私たちマネージャーの姿もたくさん写っていたんです。それが、猛烈に嬉しくて……。
そこで:
こんな素敵な写真を撮る人たちは何者なんだろう」と調べたら、学校の卒業アルバムを作っている会社と同じだと分かりました。悩んでいたところに、ちょうどニチデが高校の進路説明会に来たんです。そこで広報の先生にめちゃくちゃ熱いプレゼンをされて(笑)。「それなら一度見てみよう」とオーキャンに行って授業を受けたら、すごく楽しくて。「じゃあここに行きますわ」とその場で決めました。
渡辺さん:
僕はきっかけが2段階ぐらいあって。最初は高校の美術の授業でした。3年間ずっと絵を描いていたんですけど、数コマだけ写真の授業があったんです。iPadを渡されて「3人1組で校内を自由に撮っていいよ」という内容で、それが単純にすごく楽しかったのが始まりです。
でも、当時はサッカー部だったので、それ以降は引退までずっとサッカー一筋でした。転機は、一番最後の公式戦。先輩のお父さんが趣味でカメラをやっていて、僕たちの試合中の写真を撮ってくれたんです。後日その写真をもらった時、「あ、こんなに嬉しいんだ」って感動して。それが決め手というか、自分でもこういう風に誰かを喜ばせる写真を撮りたい、と思うようになりました。
インタビュアーA:
渡辺さんも広報の先生のお話を?
渡辺さん:
はい、僕も説明会で広報の先生に色々とお聞きしました。もともと進路を考えるのが苦手だったんですけど、「写真がやりたい」という気持ちだけでいっぱいいっぱいで。先生方にも全く相談せず勝手に受けて、合格してから「受かりました」って報告したんです(笑)。
だから、一眼レフをちゃんと触ったのはニチデに来てからです。AOの面接の時なんて、サッカーで日焼けして真っ黒な状態で阿部先生の前に現れて(笑)。
阿部先生:
面接でもサッカーのことしか話さなかったもんね(笑)。
渡辺さん:
本当に真っ黒すぎて引かれたかもしれません(笑)。でも、その「やりたい」という熱量だけで飛び込みました。

もし学生時代に戻れたら?――「基礎」と「好奇心」の再構築

写真:写真映像科 学生対談
インタビュアーA:
みなさんがもし今の学生時代に戻れるとしたら、もっとここを学んでおけばよかった、と思うことはありますか?
阿部先生:
色彩検定やフォトマスター検定ですね。当時、色彩の授業があって色彩検定3級を受けたんですが、勉強しなさすぎて落ちちゃったんですよ(笑)。当時は「まあいいか」と思っていましたが、プロになってから、色彩の基礎知識やフォトマスター検定の内容をきちんと網羅しておけばよかったと痛感しています。
インタビュアーA:
資格そのものより、その過程で得る「基礎知識」が大事だということですね。
阿部先生:
まさに。いざ就職活動やフリーランスとして活動するとき、履歴書の資格欄に書けるものがないことに気づくんですよ。英検や免許だけでなく、色彩検定やフォトマスター検定の2級、3級を持っていれば、知識の裏付けとして自分の自信にもなったはず。今のみんなは学校で受ける機会があるんだから、絶対にしっかり勉強して取っておいたほうがいい。私は今さらですが、今年で最後になるフォトマスター検定、記念に受けようかなと思っているくらいです(笑)。
渡辺さん:
僕は他学科の特別授業で受けたデッサンが楽しかったので、もっと絵の構成や光の捉え方を学びたいです。あとは、徹底的にレタッチの技術を極めたい。撮った後の仕上がりで写真の価値は大きく変わりますから。
打川さん:
私はライブフォトの授業をもっとやりたかった。好きなアーティストのライブ撮影などで、限られた時間、厳しいライティングの中でいかに最高の一枚を切り取るか。もっと外に出て、そのスリルと技術を学びたかったです。

失敗は「教訓」へ――16メガバイトのお守り

インタビュアーA:
お互いの失敗談についても話しましょう。プロの世界でも、学校生活でも「やらかし」はありますよね。
阿部先生:
私は講師というより、一人の先輩として話しますが……私の最強の失敗談は「16メガバイトに救われた話」です。横浜の編集部時代、繁忙期にバタバタと現場に向かい、焼肉屋さんの撮影を始めた瞬間に、メインのメモリーカードが読み込めなくなったんです。
打川・渡辺:
うわ……(絶句)。
阿部先生:
血の気が引きました。でも時間は1時間しかない。私はお客さんに「忘れ物をしたので調達してきます」と言って外へ飛び出し、商店街の古い写真館に駆け込みました。「私はカメラマンです。カードが壊れました。必ず返しますので空いているCFカードを貸してください!」と恥を忍んで土下座せんばかりに頼み込んだんです。
そこで貸してもらったのが、今では誰も使わないような「16メガバイト」のカード。今の高画質なカメラなら、わずか数枚撮れば一杯になる容量です。私は現場に戻り、撮っては消し、慎重にアングルを決めては1枚撮り……を繰り返し、奇跡的に納品まで漕ぎ着けました。
インタビュアーA:
段取りの大切さが身に沁みる話ですね。
阿部先生:
そうです。何が教訓かって、撮影前の準備とバックアップがすべてだということです。今でもその16MBのカードは、初心を忘れないようにお守りとしてカメラバッグに入れています。
打川さん:
私は進級制作の時、ネット注文のミスで、パネル加工がされていない写真だけが届いてしまったことがあります。自力で貼るハメになり、本当に泣きそうになりました。それ以来「ネットの注文画面を信じすぎない、最後は直接業者さんと話す」ことを徹底しています。
渡辺さん:
僕は届いたばかりの望遠レンズを過信して、動作確認せずに現場へ持っていったら、オートフォーカスが全く効かなかったことがあります。何も撮れずに帰ってきたあの虚しさは忘れられません。「前日に必ずシャッターを切っておく」という基本の重要さを学びました。

未来のクリエイターへ贈る「生身」のメッセージ

写真:写真映像科 学生対談
インタビュアーA:
最後に、ニチデを目指す高校生や、今学んでいる後輩たちへメッセージをお願いします。
打川さん:
ニチデは先生方がとにかく情熱的です。教務の先生も、技術的なことだけでなく、悩みや愚痴まで親身に聞いてくれる。自分の不安に寄り添ってくれる温かさが魅力の学校です。
渡辺さん:
現場に出ると「あ、ニチデさんね」と声をかけてもらえることが多く、業界内でのネットワークの強さを実感します。アルバイト先で出会ったカメラマンとの繋がりが就職に直結することもあります。
阿部先生:
AIが進化し、誰でも綺麗な画像が作れる時代になりました。でも、生身の人間が現場へ行き、生身の被写体とコミュニケーションを取り、その場の空気を切り取る「生きた写真」の価値は、これからさらに高まっていくはずです。AIには代替できないものが、現場にはあります。
若いうちは大いに失敗してください。35歳くらいまでは「死ぬこと以外かすり傷」です(笑)。失敗を恐れてシャッターを切るのをやめないでほしい。人間、簡単には死にませんから。情熱を持って、良い写真を撮り続けてください。
インタビュアーA:
ありがとうございました。これにて対談を終了いたします。